生まれてきたということをぼんやりと考えて

今日は誕生日でした。
またひとつ齢を重ねた……

昨年の誕生日あたりの日記を見てみると
びっくりするほど昏い感情にまみれていて、
この頃の私いったいどうしたんだろう……と
心配な気持ちになりました。

当時と比べると、精神面でも技術面でも
一応の進歩は見られるかなぁと思います。
伸び幅はそれほどでもないので、
今後一年でぐいーんと伸びられるよう
がんばっていきます。

子は生まれたいと思って
生まれてくるわけではありません。
しかし、親は生みたいと望んで生みます。

生みたいと思い生んだ以上、
親は子を見守りながら生きるべきですし、
愛を受けた子は、生まれてきたことを
歓べるように生きるべきです。

ただ、どこか歯車が噛み合わなくて、
歓びが褪せてしまった親子は
確実に存在します。

親に問題があるのか、
子に問題があるのか、
環境に問題があるのか。

……問題がどこにあるか、
という書き方をしましたが、
どこが根本であろうと決定的な要因には
ならないとも思っています。

その問題は試練ではありますが、
絶対に乗り越えられない障害ではないのです。

試練の先へ行くための力を
愛情と呼ぶのなら、その愛情をこそ
追究していきたい、ような……

そんなぼんやりとしたことを考えながら
出張してお仕事中です。
このタイミングでか。まじでか。


終わりや終わり! 終了!!

書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ


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