一度きりの追究よりも、多くの機会を

おそらく前にも記事にしていますが、感じるたびに何度でも書きますよ。

何事も急には上手くならないけれど、やらなければ上手くならないので
どのみち折り合いをつけながらやっていくしかありません。

けれども上手くないからこそ、やるのに時間がかかるし、
結果も思うように出なくて、やるのが辛くなったりします。

技量、時間、結果というような要素が挙がりましたが、
この中で一番どうにかできるのは、時間だとおもいます。

というより、結果の獲得には技術が必要ですし、技術の獲得には時間が必要です。
時間からどうにかしていかないと、他の要素は手にすることができません。

そこで時間の投入方法について考えてみると、
学習曲線のようなものはやはり存在していて、
今時点の技量を基準に、投入した時間に対する効果量の分岐点があります。

一定量までは時間を投入すればするだけ効果が上がりますが、
それを超過すると、投入した時間に対して上がる効果が減衰します。

その見えない境界を見極めながら時間を投入していかないと、
どれだけ時間があっても、ただ食い潰して死ぬだけの悲しい結末にいたります。
死は空虚です。惨めでも生きることを選択しましょう。

やる機会ごとに最低限達成するべき課題は存在しており、
その課題以上のことは、深追いするべきではないのです。
追うのならば、次の機会を早急に用意した上で追うことです。

そんなことをぼんやりと考えながら黙々と原稿進めるさまは、
まさに生ける屍。久世うりうです。


終わりや終わり! 終了!!

書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ


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