疑心と矜恃

自由を得たければ、私は自由であると
一片の曇りもなく信じる必要があるのでしょう。
しかし、疑念がなければ
重大な事を見落としてしまうような気もします。
より信じるために、疑う。
信じるに足る根拠を補強するために、疑う。
それは何とも迂遠で、悲しい行為でしょうか。
理屈を必要とせず、信じ抜くことができれば幸せでしょうに。
何を信じ、何を疑うかは難しくて
必ずしも正解を選べるわけではないけれども、
自らに選ぶ意志が存在することを確信し、
誇ることが必須であると思います。
人間であるという矜恃。
自分であるという矜恃。
矜恃を持って進んでいきたいと思います。

終わりや終わり! 終了!!

書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ


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