自分自身のことを信用できるか、ということとは別に、
自分の感覚に対しては、常に素直であろうと思っています。
ある物事と出会って、自分はどう感じた、だとか。
理解できていないことを認識して、調べたり尋ねたり、だとか。
何かに出会う、その度に、冷徹に心情を観察します。
そして、自分が受容した刺激と、そこから生まれる反応を、
素直に、あるがままに捉えて、記録します。
……時間や場所であるとか、機会であるとか、
そういった環境的な要因のことは、後で考えられます。
状況を顧みることなどなく、
心は揺動するし、感覚は発揮されます。
まずは、実際に感じたり、思ったり考えたりしたことを、
なるべく損失や歪曲のない状態で記録します。
それから、表現する否か、
ひいてはどのように表現すれば効果的かを考えます。
表現方法の検討をパズルだとするのなら、
記録は、ピースの形状を確認することです。
目をつむってパズルを組み上げるのでなければ、
より正確な形と図柄を把握する必要があるでしょう。
感覚が全てではありませんが、感覚を蔑ろにしては、
かえって実態を見誤ることにもなりかねません。
自分自身のものだからこそ、自分にも環境にも寄らず、
中正な立場で、把握していきたいです。
終わりや終わり! 終了!!
書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ
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