言外の意味と明示する責任

ライフプランという言葉、金銭に関する文脈で使われることが多いのですね。
いわゆるファイナンシャルプランニング的な。
私はもう少し広範な、人生そのものの設計という意味合いで使ってみたいです。

言葉として使ってみたいだけで、実際に計画したいわけではないのですけれど。はい。

ただ、ライフプランに限らず、慣用的な表現が一般的になってしまっているとき、
それぞれの単語が持つ本来の意味を超えていると、戸惑うときがあります。

たとえば「ライフ」が人生、「プラン」が計画を意味しますが、
「ライフプラン」と繋げると、慣用的には
人生において必要となる金銭的資源の調達計画、というような意味合いになります。
……うん、お金どこから来たの、みたいな。

内輪で「(言外の意味を)察しよう? 国籍疑うわー」という
空気を読むのがデフォルトという日本の気質を引き合いに出して
揶揄するネタがあったのですが、私自身はそういった行間を読むのが嫌いです。

伝えればわかることを伝えずに、読み取ることを相手に強いる。
これは伝える側の怠慢です。伝えたいことがあるのなら、明確に伝えなければなりません。
あるいは言外の意味を含ませるのなら、ちゃんと作品として楽しませてほしいです。

……私もよくやっちゃうのですけれど。気をつけましょう、ね。
明示していないことを強要しないように、ということですね。


終わりや終わり! 終了!!

書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ


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