コメント

  1. kirita より:

    政治的な右・左度(保守・リベラル度)0.6
    経済的な右・左度(市場信頼派・政府介入派)3.89
    保守右派

    市場主義。
    経済学の学習も滞っているけど。

  2. 稲城 より:

    リベラル左派でした。
    別に日本と言う国に、オタク市場万歳以上の思い入れは無いのです。
    自由な創作活動が許される国であればなんでもいいよ、と。

    あ、サイト名変更しましたので確認と修正お願いします。

  3. 玖条柳 より:

    kirita>
    経済学は覚えときたいとこですな。作るだけでなく程度の差はあれ経済活動はしなきゃなんないわけで。
    そんときに下地があるのとないのとではやっぱり違う。覚えといて損は無い分野ですもんね。頑張ろう!

    稲城さん>
    いや、土壌はもちろんですがグローバルスタンダードの受け入れとかは慎重になるべきですよ?
    仮に英語が主になったら日本的な感覚は失われ、活動が自由でも後続の創作自体が日本のアイデンティティを持たないわけで。
    まあ作るだけしかしないならそれでも良いのかも知れませんが。

  4. 稲城 より:

    うーん……話が逸れるんですが、私は国という物が選べない、というのは割と理不尽な事だと考えているのです。
    この国で創作活動でまともに稼げない(アニメーターを始めとした現場仕事が例ですが)のなら、日本を捨てて海外で活躍するのも充分ありかなぁ、と。
    日本的なセンスも流出した人材から向こう側で育まれる事も考え得るわけで。言語、宗教、認識的な土壌の違いはあるのでそこで分化したり変質したりする事も考えられますが、そういうのを見るのも面白いかな、と。
    まあ、実際には文化混交の超未来SFな文明に発展した世界を見てみたいという楽観的すぎる憧れなので、あまり真剣になられても困るのですが;;
    いずれチャットで討論したいですね。

  5. kujoh_ryu より:

    んーむ、どうなんだろ?私の考えでは衰退が速まるんだが。
    混ざるのは面白いけれど、混ざり続けると差が無くなって一つになる。統合されれば、個性が失われる。
    日本に限らず、各々の文化圏で誇りを持って個を維持することで、初めて交流する意義が生まれるというか。
    日本語を失うということは、精神面において日本が無くなるということなのですよ。今よりももっと先の話。

  6. 稲城 より:

    本当に差がなくなるのでしょうか、というのが私の考えですね。
    可能性の平行世界ではないですが、個人が一生に触れられる物には限度があります。私にとっては非常に残念なことに。
    故に、その差は細分化されてそれこそ人類が続いて行く限り無限に等しい「個人の差」が生まれ続けると思うのです。
    極端な話、人類と特定できるホモ・サピエンスが現れてからの四十万年、600億人(だったかな?)の中に玖条さんと同じ人が居たのでしょうか? という事です。
    日本語ははっきり言ってコミュニケーションツールとしては使いにくいですから、欧米主導の世界が続くのであればいずれ淘汰されて消滅するでしょう。
    ですが、その時にはその時代の主流な言語の流れの中に日本語のメンタリティも組み込まれるのではないかな、と思っています。それと等しく他言語のものも。
    少なくとも、混ざり続けて差が無くなる、という事は人類史が続く限り無いと思いますよ。差が細かくなっていく、というのはあるにしても、だからこそ自分と似通った他人とは迎合できない、譲れない一線があるのではと思いますし。
    まあ、自分から見た他人が皆同じように見えるのは仕方ない事ですが。

  7. kirita より:

    まず話者人口的にも、僕が生きている間に日本語が無くなる(笑)ということはないと思うので、
    どうでもいい。というか日本語が無くなる(笑)まで生きたいという意味ではクライオニクスなどに
    興味がある。

    現実的に考えても数百年単位でなくなることはないでしょう…その間の技術的進歩は、
    言語の消滅を回避できるほどの大きさだと僕は信じている。

    日本の文化が無くなる(笑)~クライオニクス(以下略

    とりあえず、この世のエロゲが「らめぇびくんびくん」から「Yes…Yes…Oh,My God !」
    になっちゃうことが無ければそれでいいと思ってる。
    でも1本くらいそういうのが出てきてもいいかなと思ってる。

    しかし、万が一この世のエロゲが「YYOMG」になってしまったとしても楽しめるように、
    英語の学習を頑張る。

  8. kujoh_ryu より:

    差の単位が違います。そりゃ「同じ人間」はいるともいないとも言い切れませんが、掛け算してるんだから恐らく差はあるでしょう。
    私が指すのは国の差です。中国の三国時代然り日本の戦国時代然り、現代においては中国は中国で日本は日本にしか見えません。少なくとも私には。
    名残なんて歴史を知ってようやく判る程度。一目で「ああ、これはあれの名残だなあ」なんて差は見いだせないと思います。
    過去の人達が何を考えていたかは推測するしかないし、存在を抹消された人達など居るか居ないかすらわからない。
    そんな中で、そもそも差そのものを観測する余地があるのか。個人単位の差なんて観測者の範囲にしかない儚いものだと思います。

  9. kujoh_ryu より:

    続き。日本語にあって英語にない、あるいはその逆の表現が存在するように言葉と価値観は密接に関連しています。
    例えば日本語が消え英語に帰属するならば、単語の幾つかが残ったにせよそれはルーツが日本語なだけの英単語にすぎません。
    単語として存在しても、後世の人にはそれをどういう時に運用するのか直感的にはわかりません。日本語の中ですら、古文は知識なしには読めないでしょう。
    何より私達が頭を悩ませた言い回しや表現の多くは無駄と切り捨てられるでしょう。生産性の悪いものを残すはずがありません。
    そうなると英語に淘汰された後、いったい日本語の何が残るのか。

    まあ、差も言語も所詮ifですがw

  10. kujoh_ryu より:

    うん、まあぶっちゃけ少なくとも自分が生きている以上は日本語が消滅することはありえないわけで。
    自分が楽しむことだけを考えるならこれについて考えるの自体が無駄。
    でも、こんな楽しいものをむざむざ終わらせるのもなんとなく後世に申し訳なくて。だから日本語全域化計画を考える。

    ひらがなのエロさは異常。んっ……ああ、ん……日本語は……音にぃっ……はぁ、はぁ……強いのぉっ

  11. 稲城 より:

    >kiritaさん
     確かに私達が生きてる間には無くならないですよねw
     クライオニクスですか……。データ化した自我を云々~っていうのをどこかで聞きましたが、あれって復活後に再構成した時果たして同じ自我を持って活動できるんですかね? 充分に技術が発達していれば眠りから覚めた、程度で済むんでしょうか。

  12. kujoh_ryu より:

    勝手に結論してしまいますが、推測したり妄想したりはできるけど本当のところは誰にもわからないんですよね。
    だからこそ仮にも今の担い手である者として、文化を蔑ろにはしないようにしていきたい。
    古文まで学ぶとは言わないけど、美しさを感じさせたりといった表現を追い求めたい。
    生きる上で無駄だからこそ楽しいのだし、萌えが学術的に研究されるのもそれはそれで面白い。
    まあアレです。今を頑張ろうってことですね。私は、幻想の為に頑張る。

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