働くことと秘めたる想いと

飲み会がありあまりまともに仕事をする気がなかったですが、
その飲み会自体もあまりまともに取り組むつもりがなかった。
そんな無気力な1日を、有意であるとどうして言えましょう?

閑話休題。働く理由が人それぞれにあるのだとすれば、
自分は何のために働いているのだろうと思うのであります。

生きるため。……古来、人も狩猟をして糧を得ていました。
文化・社会を捨てるならば、奪取して生きることも不可能ではないでしょう。

人として生きるべく、金銭を獲得するために、働いている。
それもまた立派な理由ではありますが、それだけで働き続けるのは
寂しいと感じるのは、私だけではありますまい。

利用し、利用され、たとえ裏切られたとしても、
裏切られたことにさえ納得ができるような。
そんな特別な想いを持ってできる仕事にこそ、従事するべきだと思います。

今の仕事に想いを持つのか、想いを持っていることを仕事にするのか。
働くことを見なおしてみる意義は、充分にあるのかもしれません。


終わりや終わり! 終了!!

書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ


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