想いの損失、損失しても書くのはなぜか

思ったことや感じたことを文章にすると、
その思念とも言うべきエネルギーが、損失します。

想いの損失

何かをしようと思っていたけれど、
他の人に話をしたり、SNSにPostしたら、
なんだか満足してしまった。
そんな経験をしたことはないでしょうか。

また、別のケースとして、
とても強く感じている気持ちがあるのだけれど、
的確に言い表す語彙が足りない。
それを押して言葉にしたものの、
本来伝えたい気持ちを伝えきれない、というもどかしさ。

どちらのケースも、始めの思念よりも
大きな成果には結びつきません。
この現象は、想いの損失と言えると思います。

損失を押しての変換

思念を入力として、(意図の有無問わず)別の形へと変換する。
変換により取り出せる出力は、入力よりも少なかった。

……そもそも、変換には損失がつきものです。
あるエネルギーを入力し別のエネルギーとして出力するとき、
出力されたエネルギーは、必ず減じます。

それでも、文章にします。記録します。
思念が損失すると知りながらも、
無形から有形へと変換します。

さあなぜだろう、と考えました。
おそらくは、変換するときには損失を伴うとしても、
他の人が見たとき、あるいは時間を経てから見返したときに、
新たなエネルギーの呼び水として機能しうるから、だと思います。

長期的に見れば黒字になる……はず?

出力した記録によって再生される思念は、
最初に思ったことや感じたこととは、等価ではありません。
量も質も、きっと始めの思念とは別のものです。

しかし、記録がそこにあることで、
思念は何度でも再生され、いずれは、始めの思念をも超える
エネルギー量として、この世界に根付いていくはずです。

ある種の投資のような、栽培のような。
種を播けばいずれは収穫できる。
何が収穫できるかはわからないけれども。
そんな農業的世界の中で私たちは生きているのだと思います。たぶん。

何気なくやっていることの中にも、損得の勘定がある。
そんなことに思い至ると、自分は何が欲しくて
こんなことをやっているのだろうと気になりがちですが、
そういう思索はよほどひまなときにやることを推奨します。


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書いた人: 久世うりう (kuzeuriu)
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