Twitterのタイムラインに流れてきたイラストを見て
ちょっと連想してしまったことがあったものの、
そのままTwitterに流すのがはばかられたので
記事として書いてみようと思います。
まずは、該当のツイートから。
そのイラストが掲載されたツイートが、こちら。
ぼくはてめぇ様の意思で生まれてきたんだ? pic.twitter.com/GoeJIRVogM
— あめりおじさん (@muraxx1998) 2017年4月17日
Twitterアカウントを持っていない場合
確認が手間だと思いますので、内容について簡単に触れると、
組写真風(あるいは4コママンガ風)の4枚のイラストです。
- 預金通帳を見て、生活費の心配をする母親と、乳児。
- 乳児は言う。お金がないのに、なぜ産んだのかと。
- 続けて言う。子供とは20年間お金を食う贅沢品だと。
- 冷や汗をかく母親。乳児は普段通り、無邪気に笑う。
お金がない母親と、その母親が抱く
脅迫的な妄想を主題とした作品だと
読み取れると思います。
先にどうでもいい連想に触れておくと、
描いたのがうどんちゃんこと知るかバカうどん先生だったら
母親はまず間違いなくボコボコになってるだろうなーということ。
具体的には、はぴはぴハピネス系の展開になってると思います。
どちらの20年が重いか。
で、本題ですが、予め言っておくと
この記事では「ツイートから連想したこと」を取り上げます。
ツイート自体の是非については、触れません。
ツイートを見て連想してしまったのは、
「20年間お金を食う」という一点を考えたときに、
子供が大人になるまでの約20年間と、
老いてから死ぬまでの約20年間、
客観的に見てどちらがより重いのか、ということです。
たぶん……同じくらい?
私の感覚としては、『およそ等価』です。
一人あたりの、人間のとしての成熟度というか、
理知的/建設的な活動の量みたいなものを
仮に数値化してグラフとしたときに、
そのグラフは概ね、山なりのグラフになると思います。
左端を0歳、右端を80歳程度として、
山のピークは40歳台ではなく、
20歳台~30歳台でしょうか。
その活動量をベースとしつつ、
それぞれの20年を送るにあたって必要な資源を加味すると、
実は釣り合いが取れるのではないかなぁと。
教育資金よりは老後資金の方が額面が大きく、
それぞれの資金を使うことによって得られる効果については、
子供が大人になるまでの20年の方が有益であると思います。
つまり、金銭だけを見ると、老後の方が重いです。
ただし、労力までを加味するなら、
必要な人数は1.5~2人と変わらない気がしますが、
世話を要する時間については子供の方が多いはずなので、
教育の重みが増し、おそらく釣り合います。
はい、ここまで妄想です。
誰か統計的な観点で検証して、答えを教えてください。
限りある資源を消費しているから。
『およそ等価である』を正だと仮定して、結論に何を据えるか。
それは、等価であるからこそ、ただ生まれて死ぬだけであれば
資源は目減りするのみだから、世界がもっと豊かになるように、
人生にもっと意味を、価値を求めていきたい、ということです。
うん、別に等価でなくとも想いに変わりはなかった気がします。
Twitterに投げておくのがはばかられた理由がこれです。
迂遠な展開をするわりに、真新しい観点も特になく、
むしろ変に炎上するようなリスクを微妙に含んでいる。
以上、ひっそりとブログの肥やしにすることに決めた理由でした。
終わりや終わり! 終了!!
書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ
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