喪失と連帯、そして戦い

'60の運動や'70の反体制に代わり、
私たちを繋ぐであろう活動とは、何でしょうか。

'80以降の人々は、ある意味では
略奪され、搾取されている世代だと
言っても良いのかもしれません。

しかし、世代に属する者のすべてが、
無条件で全くの被害者という訳ではありません。

それはいわば、選ばなかった、
ひいては戦わなかったことの代償なのだと思います。

戦って勝った者には、搾取する権利があります。
本来であれば、反抗により双方の攻勢が均衡するのですが、
反抗しないために、一方的な搾取の構図となっています。

では、私たちは、戦う事を選ぶべきでしょうか。
これは、戦うべきと判断します。

生存とは、他の生命を自らの内に取り込むことです。
取り込んだ生命を弔うためにも、生き抜く責任があります。

ただし、敵を打ち倒すことばかりが戦いではありません。
殲滅戦も、撤退戦も、戦いです。
大切なことは、生存を遂行することです。

戦い、打ち克つべき敵が在るとしたら、
それはきっと、『構造』です。

敵は、敵という役割を負っているために、
敵としてそこに存在しています。

敵を敵に仕立て上げている、
『構造』こそが、私たちの本当の敵です。
特定の何者かを傷つける必要はありません。

『構造』に打ち克ち、失ったものを取り戻しましょう。

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