創作における構築と運行の分離

制作をするにあたっての私の理想は
「情熱に身を任せていたら、いつの間にかできていた」という状況です。

神懸かり的な、無意識のままの世界構築。
いえ、制作をする際に構築という表現を扱うのも実は誤っていて、
既に在る世界を美しく写し取るかのような、そういった作業です。
これはフィクションかノンフィクションかに関わらず、私の理想としています。

構築という工程が存在するのなら、それは実際に作品を形にする前の段階であるべきです。
創造と破壊を繰り返して、世界の原型と成す。
想像でもいい。粘土をこねるように、実際に形にしてもいい。
ただし、最終的な作品世界とは、分離されているべきだと思います。

その世界に創造主がいないのならば、創造主の意図を介在させてはなりません。
世界において発生する出来事は、その世界における必然でなければなりません。
よって、摂理が意図的に歪められることは、あってはならないのです。

これを実現するには、作品を形にするという行為が、
創造主の意図が不在であるままに行われる必要があります。
情熱というエネルギーを消費しますが、それが本来持っている指向性は消し去ります。

世界の運行を摂理に任せ、創造主はエネルギーの提供に専念する。
描きたいシーンがあるのならば、予めそれに至るための摂理を用意しておく。
このパズルゲームみたいなやつが創作の原則だと思います。よ。

まあ原則だから毎回守るわけじゃないし、
結局のところやりたいようにやったらいいんじゃないかと思いますけどね!

あとで読みやすく改稿するかもしれません。


終わりや終わり! 終了!!

書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ


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