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ソシャゲはゲーム性が壊滅していても成立するのではないかという話。

 極論ではありますが、タイトルの通り「ソシャゲはゲーム性が壊滅していてもユーザーが求める効能は満たしているのではないか」と思ったので、そのことについて書き連ねてみる。

この記事における「ソシャゲ」の取り扱い

 「ソーシャルゲーム」の元々の意味合いとして、MobageやGREEやmixiといったSNSプラットフォームにおいて提供されているゲームを「ソーシャルゲーム」と総称していました。

 ただ、近年では、「アイテム課金」および「ガチャ」があったり、「スタミナ制」などの要素が備わっていれば、ネイティブアプリだろうがブラウザゲームだろうがおよそソーシャルゲームと呼ばれているような気がします。

 この記事では、ゲームの提供形態よりも課金手段に注目したいので、基本無料でアイテム課金またはガチャによって収益を得ているゲームを「ソシャゲ」と呼ぶこととします。ご了承ください。

なぜヒットするのだろうという疑問

 スマートフォンおよび通信網の爆発的な普及に伴い、非常に多くのソシャゲがリリースされたりサービス終了されたりしています。その中でも一定数のヒットタイトルが生まれて、ユーザー数○万人突破!なんてフレーズも耳にしたりします。

 ユーザー数の計測方法については怪しいもので、いわゆるリセマラで伸びている数字も多分にあるのだろうなぁとは思うのですが、ヒットしているであろうことについては、疑いようもありません。

 しかし、ヒットしているタイトルでも、コンシューマーゲームと比べてしまうと、少し物足りなく感じます。課金手段による制約もあり、ゲームデザインがある程度固まってしまっていることが主な要因ではないかと思います。

 もちろん、ヒットしている以上、ソシャゲとして面白いものであることは期待してよいのですが、面白さの性質が、コンシューマーゲームとは決定的に違うような、そんな感覚を覚えたのです。

求められる役割が違うという仮説

 あくまで仮説ではありますが、おそらくソシャゲは、「ゲームとしての役割をさほど求められていない」のではないか、と思います。

 ソシャゲにおいて、ランダム性は欠かせない要素です。ガチャはランダム性を利用した課金手段そのものですし、ゲームプレイにおいてキャラクターやアイテムをランダムに入手できるというものについても、スタミナ制を採用しているソシャゲであれば、それはアイテム課金への導線となります。

 課金を促すと同時に、入手するアイテムにランダム性があるおかげで、同じタイトルでも、攻略における経路がユーザーごとに異なってきます。

 攻略経路が異なることで、クリアするまでに得られる体験が一人ひとり微妙に異なり、ソシャゲを遊ぶことがコミュニケーションツール(というか話のネタ)として成立するようになります。

 そして、コミュニケーションに用いる目的で遊ぶからこそ、実はソシャゲは、コンシューマーゲームにおいて求められるような面白さを、必ずしも必要としてはいないのではないか、と思うのです。

自らの物語を共有するために遊ぶ

 仮説の通りであれば、ソシャゲの本質は、乱数によって生成される自らの物語を得ることと、その共有です。ユーザーはゲーム自体を遊ぶことよりも、コミュニケーションすることをゲームのように楽しみます。

 乱暴に言ってしまえば、いわゆるクソゲーでも、ガチャやドロップが渋くて苦しくても、そのゲーム体験を共有する相手さえいれば、ソシャゲを遊ぶ目的は達成できるのです。

 学校での話題についていくためにドラクエを遊ぶとかテレビドラマを見るとか、そういった行動と、本質的には違いがありません。共通のコンテンツをベースとした、意見の交換。それが形を変えて流布しているだけなのです。

 はじめにソシャゲの定義について軽く触れましたが、現在においては、友人との会話やSNSなどのコミュニケーションに用いられる、いわば社交的なゲームという意味合いで、ソーシャルゲームと呼べるのかもしれません。

余談

 ソシャゲのヒットの裏には、今の社会における「交流することの難しさ」みたいなものがあるのかなぁ……?とぼんやり感じています。

 インターネットの普及によって多種多様な情報を得られるようになりましたが、同時に、欲しい情報を自分で探すようになっていて、共通の話題を得にくくなっているのではないかなぁと。

 顕著な例では、テレビを見ない人とか。コンテンツについての話は、共通の話題として比較的ハードルが低いです。テレビと同様に、ソシャゲもカジュアルに遊ぶ分には手間がかからないので、テレビが担っていた役割の一部を、ソシャゲがひっそりと担っているのかもしれません。

 ただ、書籍やテレビドラマといったコンテンツとゲームとで特に違う点は「対話的である」ことで、それとランダム性が組み合わさることで、ユーザーが自身の体験として昇華しやすくなっています。そのため、ソシャゲの話は、比較的盛り上がる話題になるはずです。

 一応は「なぜヒットするのか」という疑問についてのマクロ的な視点における答えになりうるかと思いますが、実証するにはミクロ的な視点の方も詰めて「理論上売れるソシャゲ」みたいなのを作って発信しなければいけないのでは……と思うので、疑問や仮説に留めておきます。

 あと、最悪クソでも成立するのではないかというだけで質の悪いゲームを容認するわけではありませんし、かといってソシャゲが劣っていると言いたいわけでもないことは念のために明記しておきます。楽しんだもん勝ちです。


終わりや終わり! 終了!!

書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ


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