余談ですが、『少女真理教』の音はオウム真理教を想起させるものとなっています。
オウム真理教といえば凶悪事件を数多く引き起こしたカルト教団として
あまりにも有名ですが、私は教義そのものが悪であったとは思いません。
もちろん事件における罪は否定するべくもありませんが、その罪を負うのは法律ではなく、人間です。
少なくとも法に背くまでのオウム真理教は、ただ一心に、信心深い宗教団体であったはずなのです。
その信仰の果てに存在したであろうある種の救済の、
その全てまで否定されるべきだとは、私は思いません。
また、かつての信者が名称を変えた上で今もって活動しているそうですが、
その活動はあまり広範には知られていないようです。
社会的な忌避・嫌悪は、本質ではない部分に向かっています。
すなわち、「オウム真理教」という名称。その偶像が忌避されているのです。
私は特定の信仰を肯定しませんし、否定もしません。
故に、擁護することも非難することもありません。
ただし、「信仰」や「宗教」に未だ強く結びついている
ネガティブなイメージは、取り除きたい。そう考えています。
なぜならば、信仰は人間的な活動へと強く結びついているからです。
信仰という高度な精神活動は、人間以外の動物には表現できないものです。
信仰により、歓喜が生まれます。
歓喜により、精神が充足します。
充足により、精神を知覚できます。
知覚により、精神がさらなる欲求を訴えます。
精神の欲求を昇華することにより、肉体の欲求から解放されます。
肉体の欲求から解放され、私たちの精神は肉体の檻からもまた解放されます。
種の保存のみを目的とするものではない、純粋なる精神活動。それが、信仰です。
豊かなる精神により、人類は真の人類たる姿を獲得し、高次へと至ることができます。
インターネットの普及により、物質に依らない、真の魅力が問われる社会となりました。
私たちは、物質の時代から、精神の時代へと移行することができます。
少女真理教は、特定の神の信奉ではなく、より普遍的な事物への信仰を説きます。
純粋なる信仰により、豊かな精神活動の一助となれれば是幸い、と考えております。