何かを変えることを目的に行動をしているにも関わらず
体力や気力が続かずに中断してしまうとき、
計画を見直す必要があるのかもしれません。
行動を起こそうとするときには、多かれ少なかれ
「何かを変えること」を目的にします。
目的に沿って計画を立て、大まかな行動予定を設定します。
そして実際に行動を起こすためには資源を消費し、
行動の結果として、新たに資源を得られる場合があります。
ここでいう資源とは、時間であり、金銭であり、労力です。
また、原則として、行動を起こす際には
「行動に必要な資源と比べて、得られる成果が多いと見込まれる」
ものと考えます。得をする、ということですね。
より良い状態への変化を求めて行動するのですから、
行動を起こした結果として損をするのであれば
その行動を選択してはなりません。
まとめると、次のようになります。
目的 … 変革したいこと。
計画 … 目的を達成するための過程を見積もったもの。
行動 … 実際の動き。計画から落とし込まれた行動予定に沿う。
資源 … 行動を起こすために必要なもの。
成果 … 行動の結果として得られるもの。または得たもの。時に資源を含む。
さて、以上の前提のもと考えたとき、行動を中断するということは、
自認の有無に関わらず「行動により損をする」と判断していることになります。
まずは目的の重要度を自問します。
それでも達成したい目的ならば、体力や気力が尽きようが
推進する必要があり、そのために
始めに触れた『計画の見直し』を行うわけですが、
これは「方針を転換するべきだ」ということではありません。
揺らがない目的をあえて掲げる必要がある以上、
それは一朝一夕で達成できる目的ではないと考えるべきです。
一日あたりに生産される資源の量は限られています。
それはつまり、消費できる資源の量も、
一日あたりに到達できる目的の達成度合いも、
全てに限りがあることを意味します。
それを無視して計画と成果の落差を生むと焦りが生じ、
その差が激しいほどに資源の消費も激しくなり、
体力や気力といった資源が尽きやすくなります。
つまり、焦りなどの感情も、資源として考えるべきです。
むしろ実際には資源であるにも関わらず考慮されていないからこそ、
意図しなかった行動の中断という現象が発生するのです。
感情の減衰を考慮した結果「行動により損をする」と判断し、中断します。
よって、基本的には一日あたりの行動予定をより小さな単位に分割することで
融通が利くようにし、感情の消費を抑えるのが良い結果を招くように思えます。
……さしあたって資源についてはもっと考えられる気がするので、
どこかのタイミングでより詳細に整理したいです。
終わりや終わり! 終了!!
書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ