ココ。
なかなか当たっていると思います。「自分の判断を尊重しようとしすぎる」、とかw
各個人の幸せに関してはその通りだと思いますねー。
楽しい時間ってのは、幸せな時間。だったらみんな楽しくなれれば良いじゃない。
そんなに難しいことは考えてません。実現するのは難しいけれど。
自分の幸せのために、他人の幸せを犠牲にする。公共の福祉の線引きはどこか。
実は他人を蹴落として手に入れる幸せって意外と多い気がします。
みんな幸せ。ただの理想かもしれないけど、ある意味そのために色々作っているとも言えます。
自分自身は作ってて楽しいからもちろん幸せ。その作った物で他人を楽しませられれば、他人も幸せ。
実現する上で極めて損する人の少ない道だと思います。
作ったものが受け入れられない場合でも、それは自己満足で終わるわけですし。
それに、何気に敷居は低いんですよね。作ろうという気持ちがあれば。
小さな子供だって絵を描くし、お話も考えるし、歌だって歌います。
それを見たり聞いたりして幸せになる人ってのはいっぱいいますよね? 親とか。
何も難しいことはないと思うんです。上手い下手なんて……気にはなるけど、二の次。
技術は後からでも付いてくるので志、とにかく「やろうと思う」ことが重要だと思う。
人間の意志が世界を動かしている。うーん……その通りですよね。
ただ気に入らないからという馬鹿みたいな理由で政権が変わったり。
自分の幸せのために国民を売ろうとしてる人もいたり。
良くも悪くも、人間次第で変わるのは当然だと思います。人間社会ですし。
たぶん非生産者が多すぎるのはあるんじゃないかなあと思います。
受動的というか、ただのうのうと目的も無く食いつぶしているだけ。
消費したらその分何か作らなきゃ。ギブアンドテイク。
私もまだ生産者とは言えないけど、生産者として一人立ちできたらなあと思います。
……まあ、生産と言っても汎用的な価値は望めないのかもしれないけれど。
ただ自分が楽しむだけでなく、楽しさを作る、発信するというのができたらなあと思います。
終わりや終わり! 終了!!
書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ