今日、絵の上達に関するツイート を見かけました。
(画像自体は前々から出回っていた気がします)
そこで絵に限らず「上達する」ということに対して、
自分の認識をまとめてみようと思います。
言ってしまうと、私は「考えた数」と「変態性」で決まると考えています。
(1) 考えた数
内部がどのように構成されているのか観察すること。
既存の概念を疑うこと。
めんどくさいことや無駄なことをしていないか目を光らせること。
定型的にこなそうとしないこと。
何をするにあたっても、いわゆる創意工夫を心がけること。
同じルートで通学・通勤していたら、いずれは受ける刺激が少なくなって
移動がつまらなくなってしまいます。
ちなみに、結果として定型的になることは、それはそれでよいと思っています。
思考の筋道がこれまでに行った思考と少しでも違うのなら、
その差分だけ経験として加算される、とお考えください。
(2) 変態性
ドSとドMどちらの性質も兼ね備えており、
なおかつ特定の物事に対して強いこだわりを持っているのが理想です。
自分自身に対してドS的な課題を課して、その課題にドM的に取り組む。
そして自分のこだわりをどこまでも追究していく。
価値基準を他人に委ねずに判断できる人は、やはり強いです。
そして自分自身の中で攻めと受けを享受できる人は危険です。
普段よく使う変態性欲的な用法の変態でも、
「こだわれる」素質を持っている以上、
そのベクトルを良い方向に向けて利用すれば
かなりの熱量を持った活動ができると思います。
◆総じると……
「本質を見る力」みたいなものが必要なのではないかと思います。
それだけだとあまりに抽象的だと感じたので、
今回「考えた数」と「変態性」に分解してみました。
上達までの道のりは、
手順書通りに作業する、慣習に従う、といった
作業の定型化にどれだけ抗えるか、そんな戦いだと思います。
もちろん、はじめはセオリー通りに従う方が効率的だと思います。
しかし、セオリー通りの方法だけを続けていたのでは、
成長はすぐに頭打ちになってしまいます。それは思考の停止です。
あとは私自身が実践して、証明できたらカッコイイですね。
思考も変態もまだまだです。
……余談ですが、比較的オープンで気軽に呼ばれるような「変態」よりも
鬱屈していてあまりお近づきになりたくないガチの「変態」の方が
ポテンシャルを秘めていると思います。
終わりや終わり! 終了!!
書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ