因果ってわりと簡単に逆転しますよね。
「あ? 何言ってんだ、オメー」と
ポプテピピックのポプ子のような表情になった
そこのあなた。そう、あなた。正しい反応です。
鶏が先か、卵が先か
正確を期して言うのなら、
「原因と結果は、その立ち位置を自在に変える」なぁ、と感じます。
原因だと思っていたものが結果になり、
結果だと思っていたものが原因になる。
「鶏が先か、卵が先か」という比喩が指す通り、
どちらが先に存在していたかという点については
必ずしも一定ではありません。
「(因果の)関係がある」ということだけが確かなのです。
一見して覆しようのない因果もありますが、
それは「時間の流れる方向が(過去から未来への)一定だ」という
前提に基づいているから現状では覆らない、ということで
(もしも、ではありますが)未来から過去への流れが観測されたら、覆ります。
こころの因果
この記事で言及したいのは、
もう少し情緒や知識に踏み込んだ部分です。
常日頃に感じたり目にしたりする
心の問題だったり一般論だったりなんかには
絶対の因果なんてものはありません。
たとえば、自信を得るためのアプローチとして
成功体験を積み重ねていく、なんてものがありますが
「成功して→自信を得る」のか、
「自信があるから→成功する」のか。
むしろ「成功体験がないから今は自信がなくてもいいんだ」とか、
「成功し続けているから絶対に間違っていない自信がある」とか、
そういった、変にこじらせる原因にもなりかねないような……
……この『原因』も「こじらせているから、成功体験にこだわる」
ということなのかもしれない、と覆せますね!
絶対、因果なんかに負けたりしない!
つまるところ、精神世界においては
因果なんてどーでもいーのです。
柔軟に、いいかげんに、てきとーに、よしなに。
自分にバフがかかるように認識していったらいいと思います。
君も僕も、あるよ。自信。
終わりや終わり! 終了!!
書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ