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自己、かな

昨日の抑えようってのは購入をって意味でした。
都心部に行ってから初任給までどんくらい耐えればなんとかなるかわからんし。
まあ返還とかに使うのも充分にアリというか……それが筋か。
私が言うのもなんだけど節制ですよ……
必須で使うぶんが少なければ、入るぶんが増えたときにより自由に使えるわけです。
逆にどれだけ入っても、出るのが多けりゃ何も残らないのです。
自分に係る全ての財政管理がようやく自己責任になるので、これはこれで楽しみです。


ブログにのっける文としてアレな気もしますが、途中まで書いちゃったので。
立ってるものは親でも使え、を文字通り受け取った生活を続けてきた。
急用でもなんでもないけども。とにかく、自分で手を下すことが少なくなるように。
代わりに何でも言わせておけば良い。それで気が済むのならば。
不本意な干渉も呑む。そのぶん私は今を享受する。
ようやく傍若無人に振る舞える。職に就かねばどうしても立場が弱い。
正確には、自分の食事くらいは確保できねば、か。きっと必ずしも働く必要はないのだろうから。
それまでの期間、私には機嫌を損ねずに庇護を受ける必要があった。
当然だ。自分でやらずに済む事ならばやらせた方が良い。
まして学校や職場を清掃するのとは違う。自分が住んでいる家であり、時間を拘束されてはいない。
親だろうが血が繋がっていようが他人は他人だ。特別視はしない。
受けた恩義は返すが道理、それを無下にするつもりはない。
だが、それ以上のことはないだろうとも思う。何せそのつもりがない。
生めと頼んだわけではない、とはよく聞く言い回しだ。
しかし実際頼んだわけではない。生まれるも出会うも確率的な出来事だと思う。
ただ偶然に私が生まれるという結果が選ばれ、こうして生きているにすぎない。
それでも私は、生きる。誰に望まれていなくとも、私が望む。
死ぬその時まで、私は生きる。私がそうしたいし、選ばれなかった結果にも失礼だ。
ここで生きるとは生命活動の維持を言うのではない。生の謳歌こそを言う。
ただ生存していることに何の意味があろうか。そんなものは人間ではない。
人間として生まれたからには、どこまでも私の意志で突き進む。
ここまで20年……長くも短く、そして謳歌という意味では半ば達成されている。
今の私ならば、恐らく漫然と過ごしているだけでも生を楽しむ事ができる。
だから私がこれから目指すのは、謳歌ではなく成就。
まずは私が楽しいこと。そして他人も楽しめること。その大成。
前者は先にも言った通りほぼ達成されている。ならばこそ、後者。
私は初めに、他人を楽しませるだけの器を持たねばならない。
その機会を与えられた事に、やはり感謝はしなければいけないのだと思う。
他人であっても、いや他人だからこそ、親は親。
血の繋がりがあろうとなかろうと、こうしてここにいるのは庇護を受けたからだろう。
肉親という狭義ではない、親身な人々。
自分勝手に生きるなりにも、その筋を通さなければならないのだと。私は感じている。
これは温情や筋がどうこうといった話ではなくとも、道理だと思う。
何せ個人の力というものは弱い。許容されぬ傲慢さなど排斥されるに決まっている。
自分の思うとおりに振る舞うからこそ、ある程度周囲への心配りはあって然るべきなのだ。
私はこれから輪をかけて、極めて利己的に生きるだろう。
だがそれは、必ずしも他人を不快にさせるものではないと信じている。
この信念が間違っていないということを、いずれ証明できればと思っている。
……まあ、証明できれば、ねw
生きてるということは変化することだと思うので、この信念自体が揺らぐことも大いにありうるしw
基本的にそんな難しいこと考えて生きてないんで妄言妄言。


終わりや終わり! 終了!!

書いた人: 久世うりう (kuzeuriu) お問い合わせ


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